ビームスについて

- アパレル業界ニュース -
2014年12月28日

ビームスについて①

常に新しい文化を作る会社 ビームス

1976年の設立当時から、「日本の若者の風俗・文化を変えよう、その旗頭になろう」と、常に新しい価値観を伝えてきたビームス。「いつだって自分がワクワクしていたいし、それを伝えたい。」と、いつでも次の時代に主流となるべき小さな光に注目し、それを大きく育てているセレクトショップ形態の会社です。

最近では、しょこたんとのコラボブランドである、mmtsを開始。しょこたんが愛する猫や宇宙などのモチーフをちりばめた、オタクだけではなく、女の子がキュンとする、ちょっとひねった商品を展開し、オタクやしょこたんファンの聖地である中野ブロードウェイにショップを出して話題になりました。

このようにビームスは、大きなアパレルにありがちな売れ筋を狙った商品展開ではなく、ニッチで面白い商品も展開して、若者文化をより豊かにする役目を担っています。

ビームスの成り立ち

ビームスの始まりには面白いエピソードがあります。創業者の設楽悦三氏はもともと1953年創業の、段ボール類を製造する会社を経営していました。
その後、1975年頃に新宿の飲み屋で知り合った人のつてで紹介された重松理氏(後のユナイテッドアローズ創業者・会長)を店長にし、1976年に原宿にビームス1号店をオープン。当時お店は6坪程度で、ショップ名は「AMERICAN LIFE SHOP BEAMS」というものでした。
このお店はアメリカ西海岸のカジュアル衣料を直輸入して大成功を収め、1977年には渋谷のファイヤー通りに2号店をオープンさせます。

その後、設楽悦三氏が病気になったことから、長男である設楽洋氏(現在の代表取締役社長)が電通からビームスへ移籍、父親を助けます。
彼は広告出身でメディアとも繋がりが深く、その人脈から『ポパイ』などの雑誌社と密接な関係を築きます。

『ポパイ』編集部は、ビームスにアメリカのファッションの情報を提供して、ビームスがそれに関する買い付け、また、『ポパイ』の誌面ではそれらのファッションを紹介するというサイクルが成立して、ビームスがビジネスを拡大するのに大いに役立ちました。
その後も『ビギン』とも繋がりを深め、ビームスの商品を多く紙面に掲載して売上を拡大しました。

1990年になるとビームスにピンチがおとずれます。当時常務取締役としてバイヤーたちを統轄していた重松理氏が、およそ30人の社員と共にビームスを離脱。新たにユナイテッドアローズを立ち上げました。
重役をはじめとして、大量に社員を失ったビームスは大混乱。危機に直面しますが、雑誌社との協力を強める事などによってピンチを免れます。

その後は基幹ブランドのBEAMSに加えて、レディースブランドのRay BEAMSやBEAMS BOY、Tシャツの専門ブランドのBEAMS Tを次々と展開して行きます。

ビームスってどんな会社?

ビームスで働く人、働いた経験のある人の多くの意見のなかでとても多いのが、「服好きにはたまらない」、「商品が魅力的で働いていてあきない」など、働く環境が恵まれている、という意見です。最先端の服だけでなく、ライフスタイルブランドとして、雑貨なども扱っているため、様々なセンスの良い商品に触れられるのが大きな魅力のようです。

また、正社員の場合は育児休暇なども充実しており、結婚・出産しても仕事を続けている女性が多いのも特徴的。

社員同士の仲が良い店舗が多く、会社のイベントなども多数行われ、人間関係はアパレルの中でも良い会社と言えるでしょう。

社員の研修制度も整っていますが、販売員も本社勤務も服好きで知識が豊富な社員が多いため、高レベルのアパレルの知識を求められます。
自ら進んで雑誌や他のブランドを研究して、日々努力している人が多くいます。

やはり、ビームスが好き!服が好き!という人が多く入社しているので、おしゃれでアパレル業界に就職したい人にとっては楽しい環境で仕事ができそうな会社ですね。

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